ローカルSDGs アクションフォーラム

参加団体の活動紹介

目先のことよりも未来のこと、本質を追求し創業400年

青源味噌株式会社

団体紹介

創業1625年(寛永2年)。社名「青源」は、初代創業者・青木源四郎の2文字を取って名付けられました。創業時は米屋、江戸時代中期ごろから兼業となり、明治からは味噌の専業になりました。その間、戊辰の役や大東亜戦争で宇都宮は焼け野原となり、工場、店舗も全焼しましたが、何度も立ち上がって現在に至ります。

2025年、創業400年を迎えます。「挑戦する400年の発酵屋」として味噌文化の創造を掲げ、味噌のおいしさや素晴らしさを伝えていきます。

該当SDGs 目標番号

インタビュー

代表取締役社長 青木敬信さん(21代目)

代表取締役社長 青木敬信さん(21代目)

味噌は分身のようなもの

昔から人は微生物の力を借りて暮らしをつむいできました。味噌の歴史は1300年。それはまさに日本人の知恵の結晶であり、大切な財産です。

味噌は、同じ日の同じ時間、同じ原料、同じ配合、同じ手順で仕込んでも、造り手によって全く違うものができあがります。

言わば味噌は、自分が映される、分身のようなもの。こうした味噌の面白さと、日本の伝統的な食文化である発酵食品の魅力や価値をお伝えしています。

食文化の救世主

「いただきます」という言葉があるのは、日本だけだそうです。食べものには、命がありました。「いただきます」は、命をいただくということ。そして、その命を自分の体に取り込み、命をつなぐ。「いただきます」の言葉ひとつから、日本の豊かな食文化がみてとれます。

発酵食品を食べること、これもまた、生きているものをいただくこと。青源本店で行っている発酵教室では、命をいただく、食の本質についてもお伝えしたいと考えています。

「身土不二」とは、生きものの身体である「身」は、その地域の気候風土やそこで採れる食物などの食環境「土」とは、密接不可分であり、分かち難いもの(不二)ということを表しています。まさに持続可能な伝統的地域食文化によって人の身体はつくられてきました。
 
近年は世界的な経済発展により農産物のグローバル化が進み、原材料や食材が地球の反対側からでもやってくることが当たり前となっています。生産の合理化を求めて森林破壊、過剰農薬、遺伝子組み換え作物転換などによる環境破壊は、地球規模でCO2増加の一因にもなっています。

日本国内のみならず「身土不二」とは真逆の食文化の大混乱が発生しています。並行して、人間の身体の中では「混乱した食文化」との不適合が多発し拡大しています。文明病のアレルギーなどの自己免疫疾患をはじめ様々な不快不定愁訴や鬱などのメンタル障害も、無菌的に加工された食品に安易に依存する食生活に起因するとは考えられないでしょうか。

極端ともいえる「身土分離」の時代のなかで、私たちの命の本質が地域の自然に根ざしたものであることに改めて気づくことは、意義のある大切なことです。

食文化の救世主

麹は命ある食べもの

弊社は地産地消に軸足を置き、地元農家・地元特有の品種の保護に取り組みながら、味噌仕込み教室をはじめ、さまざまな発酵教室を展開しています。

中でも「麹造り体験教室」は3日間にわたって職人とともに米麹を造る本格的な教室です。発酵食品が「生きている食べもの」だということを、五感を通して知ることができる貴重な機会となっています。

特に子供たちに向けた味噌仕込み教室は、貴重な食育の場だと捉えています。実際に、手造り味噌のおいしさに感動して、お味噌汁が大好きになったというお子さまもいらっしゃいました。発酵食品には、腸内環境を整える働きがありますから、お味噌のある暮らしは子どもたちの成長や健康にも大きなメリットがあります。

「おいしくなあれ」は魔法の言葉

2024年9月、宇都宮市内の保育園で出張教室を行いました。昨今、感染予防や安全衛生管理の観点などから、子どもたちの食育機会の減少が懸念されています。同園でも、従来の取り組みが難しくなっている中、「本物の食育や伝統文化を体験させてあげたい」との想いを弊社がサポートさせていただくことになりました。

園児たちは目を輝かせて大豆をつぶし、麹と混ぜ合わせ、教室には「おいしくなあれ、おいしくなあれ!」の大合唱が響き渡りました。「あんなにキラキラした子どもたちの顔を見るのは久しぶりです」先生の瞳は、うるんでいるようにも見えました。

子どもたちの健やかな成長を応援できたことは、私たちにとっても大変うれしく、五感を活用して体験する「食育」の大切さを改めて知る機会となりました。仕込んだお味噌の開封式を行い、みんなで味噌おにぎりをいただくことになっています。

「おいしくなあれ」は魔法の言葉

発酵食品の未来は明るい

味噌や甘酒は、微生物が仕事をして働いて造り出してくれている発酵食品です。長い間、働いてくれているその微生物を主役にした商品がつくれたら素晴らしいなと思っていました。

当社の工場の中に長く棲み付いている蔵付きの菌にペディオコッカスアシディラクティシーAS19という大変長い名前の乳酸菌がいます。これがとても良い働きをすることが分かり、この乳酸菌をメインにした乳酸菌発酵飲料を「ペディオ」という名前で発売しました。2021年のことです。

この商品が示しているのは、青源はお客さまの健康に貢献しようとしている会社だということです。これからは単に味噌を売る、甘酒を売るという、物を売るというところから、伝統的な発酵技術を使って、お客さまの健康に貢献できる、そういう企業を目指していきます。

発酵食品の未来は明るい

青木敬信さんからのメッセージジ

目先のことよりも未来のこと、自分のためだけではなく、他の人や周りの人のために。そういう視点を持つのがSDGsであり、企業や団体の本来のあるべき姿ではないかと考えます。必要とされ続ける企業であるために、お客さまの健康に貢献するためには何が大切なのか、本質を追求し、高い理想を持って取り組みを続けます。

取材を終えて:公認サポーター 市川潤子

取材をしていて、青木さんの背後に初代創業者からこの400年間に関わって来た、沢山の方々が同席してくださっている様な、それはそれは不思議な感覚になりました。その位、青源味噌株式会社さんが400年間で3度も火事被害に遭われた復活劇の詳細を、臨場感溢れたトークでお聞かせ下さったからです。

1773年(安永2年)の火事、35年後の文化5年の火事、100年後の明治元年の火事、そして1945年の戦火の火事。B29からの攻撃から、奇跡的に蔵が焼けずに済み、代々引き継がれてきた会社の書類や味噌の造り方の秘伝書も守られました。しかし味噌の蔵は爆撃で焼けてしまっていたのですが、焼け跡に残されていた燃えて灰になっていた竹樽をポロリと開いてみると、何と味噌は燃えていなかったそうです。この奇跡的に守られた代々伝わる大切な味噌を、戦後すぐに種味噌として新たなスタートをきりました。

青木さんが丁寧に言葉を選びながら、こんなお話を聞かせて下さいました。「建物は戦争で燃えてしまいましたが、大事な物はこの味噌の中に全部いるのです。人間以外の動物は、みんな生で食べていますね。殺菌した物を食べ、栄養素を摂ることばかりに人は意識してしまっていますが、本来ならば生きた物を食べて欲しいのです。生物は味が変わるのが早い為、商品としては売りづらいし、味を一定させる為に加工しなくてはなりませんが、それは正しい食の形とはかけ離れてしまっています。大量流通が当たり前になっている今、生きた物を大切にして欲しいのです」。食の崩壊は、人の心身の崩壊でもあります。除菌、殺菌、滅菌をする為に沢山の薬剤処理をしている日本の食ですが、果たしてそれは人類にとって本当に良い事なのでしょうか。

そこを深く考えさせられるターニングポイントになった出会いでした。ゴール12「つくる責任つかう責任」を400年間守り続けてきた一言一言は、やはり重みがありました。本質に目を向け社会貢献されている、青源味噌株式会社さんの食文化を、日本人は大切に継承する必要があると思います。これからも、応援したい団体でした。あと400年先も、どうかこのお味噌が守られます様に。創業400年、おめでとうございます。
<組織概要>
団体名:青源味噌株式会社
所在地:〒320-0818 栃木県宇都宮市旭1-4-32
設立:1625年
事業内容: 味噌、関連商品の製造、販売
URL: https://www.aogen.co.jp/